東京地方裁判所 昭和41年(ワ)4923号 判決 1968年2月21日
原告 古閑大
<ほか三名>
右原告四名訴訟代理人弁護士 赤坂正男
被告 株式会社八峰閣
右代表者代表取締役 黒沢伝樹
右訴訟代理人弁護士 石井勗
主文
被告は、
原告古閑大に対し金二、六二七、二一九円
同古閑利に対し金二、四〇八、二八九円
同永田静一郎に対し金二、四八〇、一五一円
同永田フトミに対し金二、二七一、二一一円
およびこれに対する昭和四一年六月九日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用はこれを四分し、その三を被告の、その一を原告らの各負担とする。
この判決は仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
一、当事者間に争いない事実
被告は昭和四〇年二月四日当時、東京都豊島区池袋東二丁目一七番地二三所在、木造瓦葺二階建店舗一棟(建坪二二八・四二平方メートル、二階一九五・九六平方メートル。以下本件建物という。)を所有して八峰館という屋号で旅館業を経営していたこと、原告永田静一郎、同フトミの長女永田昌子は東洋音楽大学入学試験受験のために、原告古閑大、同利の長女古閑祐子に附添われてともに上京し、同月二日被告旅館二階梅の間に投宿したこと、同月四日午前二時三三分ごろ同旅館より出火し、火のまわりが早かったため、昌子、祐子の両名は逃げ場を失い、祐子は同旅館本件建物焼失とともに、昌子は同日午後七時二八分それぞれ焼死したこと、右の火災の原因は、被告旅館内一階北側ホームバーの隣に設置されていた、炊事および浴場用の温水ボイラー(以下本件ボイラーという。)の鉄製煙突の、土台との結合部がブロックで形成され、その隙間をモルタルで埋め込んであったが、長時間低温加熱の結果そのモルタル中にあった間柱に着火し、出火するに至ったものと推定されること、以上の各事実については当事者間に争いがない。
二、出火の原因
≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。
1 昭和三九年訴外有限会社巽工業所は被告会社から本件建物のボイラー設置工事を請負い、同年九月下旬右工事を完成して本件ボイラーを被告会社に引渡し、被告会社は以後本件ボイラーを使用してきた。
2 本件ボイラーは本件建物地下一階中央部に固定して設置してある鉄製温水ボイラーであるが、本件建物一階北側ホームバーの土台に近接した壁間においてボイラーの煙突の接合がなされている。右煙突接合の状況は、建物の内壁(新建材ベニア板張り)と外壁(波形トタン板)の間にあって外部からは見えない。接合部分はブロックおよびモルタルによって形成され、接合部分より上方にのびる煙突は内壁側の接合部モルタルに一部掛る状態で支えられ、煙突と接合部分との隙間は根締モルタル止鉄板および根締モルタルにより被覆されていた。接合部分に近接した土台には右煙突より二センチメートル隔たるのみのところに内壁を支える木製間柱(厚さ二・五センチメートル、巾一〇センチメートル)が立っており、その間柱の下部が接合部分上部の根締モルタル中に入りこみ間柱の一部が右モルタルでおおわれている状態にあった。
そのため右根締モルタルに亀裂を生じる可能性が大きかった。
3 その後本件ボイラーの使用を続けるうちに間柱が入りこんでいた部分の根締モルタルに亀裂を生じ、接合部分および煙突内の火気が間柱におよぶ状態になった。そのため間柱が加熱せられて除々に炭火して着火するに至り、本件火災を発生するに至ったものである。
以上の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
右認定のとおり、本件建物出火の原因は本件ボイラー煙突の接合部分構造が、上部根締モルタル中に木製間柱を入りくんでいたところに右モルタルに亀裂が生じたため、火気が間柱におよんでいったことにあると認められる。
三、防火避難設備について
≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。
1 本件火災により焼失した本件建物は木造瓦葺二階建の建物(延面積四三四・三八平方メートル実測延面積約七五六平方メートル)一棟であり建物全部が旅館(従業員使用部分も含む。)として用いられていた。
2 本件建物には防火避難設備として消火器(合計一三個)誘導標識、メガホン等が設備されていたが、火災予防条例(昭和三七年三月三一日東京都条例第六五号、以下条例と略称する。)ならびに消防法施行令(昭和三六年三月二五日政令第三七号、以下施行令と略称する。)により設置することが義務づけられていた次の各施設は設置されていなかったものである。すなわち、(一)条例第四一条に基づく自動火災報知設備、(二)施行令第二四条に基づく非常警報設備、(三)施行令第二六条に基づく避難口誘導灯、以上の施設は設置されていない。
なお、避難器具については二階子供部屋に避難梯子一個が備え付けられていたにとどまり、宿泊客が容易に利用しうる方策はとられていなかった。
3 被告は本件ボイラーの設置について条例五七条に基づく所轄消防長に対する届出ならびにボイラー及び圧力容器安全規則(昭和三四年二月二四日労働省令第三号)第七六条に基づく所轄労働基準局長に対する報告をいずれもなしていなかった。
4 被告は昭和三九年四月一四日豊島消防署より本件建物についての立入検査を受け、その際に立入検査結果通知票により、(イ)消火器を一能力単位以上増設すること。(ロ)避難口に避難口誘導灯を設置すること。(ハ)二階部分に避難器具を設置すること。(ニ)自動火災報知設備を設けること等の各事項について指導を受けた。その後同年九月九日再度立入検査を受けたが、被告は前回の指導事項について改善するところがなかったため、前同様再度の指導を受けた。
以上の各事実を認めることができる。被告は二階にはしごがさらに一個備えられてあり、また事故の直前に所轄消防署係員の視察指導をうけたがボイラー室に消火器一個増設の注意をうけたのみで他に警報、避難設備の不備について指摘されたところはなかった旨主張するが右事実を認めるに足りる証拠はない。他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
四、被告の責任
原告らは、本件事故は土地の工作物の設置保存の瑕疵によるものであるから被告にはこれにより生じた損害を賠償すべき義務があると主張する。
ところで土地の工作物の瑕疵により火災が生じた場合の責任について「失火ノ責任ニ関スル法律」(明治三二年法律第四〇号、以上失火責任法という。)が適用されるかどうかについてまず検討する。民法七一七条は特別に工作物の管理者に危険防止を万全ならしめる処置をなすべきこととして工作物の瑕疵から生じた損害について無過失賠償責任を負担せしめるものであり、これは危険責任の見地から理解すべきものとされているのであるが、このことは、工作物の瑕疵によって生じた事故が火災であるか、または他種の事故であるかによって、異別に扱わなければならないものではない。また失火責任法が特に失火者が故意又は重大なる過失あるときにかぎり責任を負うものと定めたのは、木造家屋の多い我国の特殊事情から、火災の延焼により損害が予想外に拡大しこれをすべて失火者の責任として負担せしめるときは、失火者にあまりに過酷であるとの見地から出たものである。これらのことを考え合せれば、土地の工作物の瑕疵により火災が発生した場合その占有者もしくは所有者は、延焼した部分については同法を適用して工作物の設置または保存について重大なる過失ある場合にかぎり、その損害について賠償責任を負うべきものとしても、工作物から直接に生じた火災による損害については同法の適用は排除せられ、民法七一七条により賠償責任を負担するものと解するのが相当である。
してみれば、本件建物とその附属施設である本件ボイラー設備が同条にいわゆる土地の工作物であることは明らかであるところ、前示認定のとおり、本件ボイラーの煙突について、本件建物の内壁と外壁との間で接合をなし、その接合部根締モルタル中に可燃性の木製間柱を入りくんでいたうえに、同モルタルに亀裂が存在していたことは、煙突の火気による火災の危険性が大であるボイラー設備としては、明らかにその設置および保存に瑕疵があるといわなければならない。
また前示認定のとおり、本件建物について、火災の発生をすみやかに報知すべき設備、建物全域に警報を発すべき設備、避難口誘導設備を設置していなかったことは、本件建物が建物の構造、区画ならびに避難施設についての十分な知識をその立場上、期待できない不特定多数の宿泊客に利用される旅館として使用されており、したがって法定の警報設備、避難設備としての設置を義務づけられていたことを考えれば火災に対する安全施設を著るしく欠くところに瑕疵があったものと言わなければならない。そして本件ボイラー設備の前示のような瑕疵によって発生した火災は、右安全施設上の瑕疵のためその災禍を拡大し、右両瑕疵の競合により祐子、昌子の両名を焼死せしめるに至ったものと認められる。
被告が本件建物ならびにその附属施設たるボイラー設備を所有しかつ占有していたことについては前示のとおり争いはないが、被告はボイラー設備の瑕疵に基づく本件事故について、ボイラー設置の請負人訴外有限会社異工業所がその仕事について第三者に加えた損害であるから注文者である被告には責任がないと主張する。しかしながら民法七一七条の責任については同法七一六条の適用はなく、土地の工作物の所有者、占有者であれば危険物の管理者として、瑕疵が請負人の責にもとづくものであっても、請負人に対しさらに損害賠償を請求できるかどうかは別として、被害者に対する損害賠償責任を免れることはできないものである。
以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、被告は原告らに対し本件火災により生じた損害について賠償義務がある。
五、過失相殺について
被告主張の過失相殺の抗弁について判断する。
≪証拠省略≫によれば、裕子らと同室に宿泊していた小佐井洋子はかねがね両親から注意を受けていたので、投宿後すぐに自ら進んで被告の従業員に非常口の位置について確認しそれを裕子らにも告げたが、被告の従業員は誰ひとり裕子、昌子に避難方法等について知らせることはなかったこと、出火を告げる声に目を覚ました小佐井洋子は傍で就寝していた右両名を起し、自分は衣服をつかんで、どてらのまま避難口へ走り、そこから屋外へ逃れることができたが、その時両名は着替えをしていたこと、被告従業員で最初に火災の発生を知った者は自力で消火しようと試み、ボールで調理場から水を運んでかけ、その途中で、階下から出火の旨叫んだにすぎず、二階に宿泊していた右両名ならびに小佐井その他の宿泊客に対して避難の誘導をなす等、顧客を安全に脱出させるために先ずなされるべき措置がおろそかにされ、消火器の使用すら失念していたこと、そのため両名は避難口のない二階柏の間に迷い込んで逃げ場を失い焼死したものと推認されること、以上の各事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。また裕子が被告旅館に二回宿泊の経験があるとの事実はこれを認めるに足りる証拠がない。
被告は、小佐井洋子が脱出できたことから、裕子、昌子になんらかの過失があったもののように主張するけれども、右事実によれば、両名が起床して着替をしていたことをもって損害額の算定にあたって斟酌すべき過失ということはできず、他に両名の避難の仕方について過失があったものと認むべき事実もない。よって被告のこの主張も採用できない。
六、損害(原告古閑大、同古閑利関係)
1 裕子の蒙った得べかりし利益の喪失
(一) ≪証拠省略≫を総合すれば、裕子は昭和一七年六月一日生れの健康な女子であって、東洋音楽大学音楽科を卒業した後、死亡当時は熊本女子高等学校に音楽講師として勤務する傍ら、自宅においてピアノの個人教授をおこなっており、講師として一ヶ月平均一四、〇六六円の収入を得、個人教授として約一一名内外の弟子をもち一人当り一ヶ月一、〇〇〇円の収入を得て、年間合計三〇〇、七九二円の収入を得ていたこと、裕子はまもなく結婚する予定であったが、同女の特技により個人教授等を継続することによって結婚後も同等の収入を得ることが期待されていたこと、生命表によれば同女の平均余命は五一・五二年であったものであり満五五才をもって就労稼働年限と考えるのが相当であること、他方熊本県における一人当りの生活費は年間一一六、七三四円に相当するものと認められるから本件事故により裕子の失った得べかりし利益は年収額より右生活費を差引いた年間純収益金一八四、〇五八円の三三年分の合計額となる。これをホフマン式計算法(複式)により年五分の割合による中間利息を年毎控除して死亡時におけるその現価をもとめると三、五三〇、八二五円(円未満切り捨て)となる(算式は別紙計算書(一)のとおり)。
(二) 原告古閑大、同古閑利が右裕子の父母であることには争いがないから、両名は同女の死亡により各二分の一の相続分をもってその有する権利を相続により取得した。よって両名は前記金三、五三〇、八二五円の二分の一にあたる金一、七六五、四一二円五〇銭の損害賠償請求権をそれぞれ相続によって承継したものと認められる。
(三) しかしながら右原告両名が本訴において亡裕子の損害賠償請求権を相続したものとして請求する額はそれぞれ金一、四〇八、二八九円であるところ、これについては右原告らが自己の蒙った損害として賠償を請求している他の請求とは訴訟物を異にするのでその間において賠償額を融通することはできないものである。よって右原告両名は、裕子の損害賠償請求権を相続してなした右請求についてはその請求額の限度においてのみ認容されるべきである。
2 慰藉料
≪証拠省略≫によれば、両名はその長女である裕子の死亡により多大な精神上の苦痛を受けたことは容易に認められるところでありこれを慰藉する金額としては本件の諸般の事情を考慮してそれぞれ金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当であると認める。
3 原告古閑大の財産上の損害
≪証拠省略≫によれば、原告古閑大は本件火災による裕子の死亡により昭和四〇年二月一〇日までに熊本市からの上京費用金五五、〇〇〇円、葬儀関係費用金一六三、九三〇円を支出したことが認められ、右支出は本件火災による裕子死亡の結果生じた必要経費として社会通念上被告に賠償させるべき相当な額というべきであるから、これを相当因果関係ある損害と認める。
しかしながら、原告主張の墓地建設費は本件事故と相当因果関係ある損害とは認め難く、また衣服所持品代五六、〇〇〇円についてはその所有関係ならびに金額について原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。
七、損害(原告永田静一郎、同永田フトミ関係)
1 昌子の蒙った得べかりし利益の喪失
(一) ≪証拠省略≫によれば、昌子は昭和二一年一〇月九日生れ、当時満一八才の健康な女子であり、尚絅高等学校第三学年に在学中であり、同年三月には同校を卒業する見込みであったことが認められる。この場合、もし同女が本件火災に遭わなければ、少くとも高等学校卒業の学歴に基づく平均給与額相当の収入を得られるものと認めるのが相当であるところ、労働大臣官房労働統計調査部による賃金構造基本統計調査(第一八回労働統計年報昭和四〇年所収)によれば、高卒以上の女子職員の一ヶ月給与額は二〇、〇〇〇円であるから、同女の年収は二四〇、〇〇〇円となる。前示認定のとおり熊本県における一人当りの生活費は年額一一六、七三四円であるから、同女の一年間の純収益は右生活費を控除して一二三、二六六円となる。そして同女の平均余命は、生命表によれば五五・二八年であるところ、満五五才をもって就労稼働年限と考えるのが相当であるから、同女の失った得べかりし利益は右純収益の三七年間分の合計額となる。これをホフマン式計算法(複式)により年五分の割合による中間利息を年毎控除して死亡時における現価をもとめると金二、五四二、四二二円(四未満切り捨て)となる(算式は別紙計算書(二)のとおり)。
原告は、昌子が大学卒業後に年間三〇四、〇五六円の収入を得るものと主張するが、同女の大学卒業の見込は必ずしも確実なものとはいいがたいものであるから、原告主張どおりに得べかりし利益を算出することはできない。
(二) 原告永田静一郎、同永田フトミはそれぞれ昌子の父母であることには争いがないから、同女の死亡により各二分の一の相続分をもってその有する権利を相続により取得したものである。よって右両名はそれぞれ前記金二、五四二、四二二円の二分の一にあたる金一、二七一、二一一円の損害賠償請求権を相続により承継したことが認められる。
2 慰藉料
≪証拠省略≫によれば、両名はその長女である昌子の死亡により多大の精神上の苦痛を蒙ったことが認められ、その苦痛に対する慰藉料としては本件の諸般の事情を考慮してそれぞれ金一、〇〇〇、〇〇〇円宛の支払を受けるのが相当であると認める。
3 原告永田静一郎の財産上の損害
≪証拠省略≫を総合すれば、原告永田静一郎は昭和四〇年三月二四日までに湯前町からの上京費用金三七、一四〇円葬儀関係費用金一七一、八〇〇円の支出をなしたことが認められる。右支出は本件火災による昌子死亡の結果生じた必要経費として社会通念上被告に賠償させるべき相当な額というべきであるから、これを相当因果関係ある損害と認める。しかし、上京中の関係者に対する謝金四〇、〇〇〇円、香典返しとしての寄附金合計一一〇、〇〇〇円、墓地建設費一五〇、〇〇〇円はいずれも本件事故と相当因果関係ある損害とは認め難い。また衣服所持品代価四〇、〇〇〇円についてはその所有関係ならびに金額について原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。
八、結び
以上により原告古閑大は、裕子の逸失利益の損害一、四〇八、二八九円、慰藉料一、〇〇〇、〇〇〇円、財産上損害二一八、九三〇円合計金二、六二七、二一九円、原告古閉利は、裕子の逸失利益の損害一、四〇八、二八九円、慰藉料一、〇〇〇、〇〇〇円合計金二、四〇八、二八九円、原告永田静一郎は、昌子の逸失利益の損害一、二七一、二一一円、慰藉料一、〇〇〇、〇〇〇円、財産上損害二〇八、九四〇円合計金二、四八〇、一五一円、原告永田フトミは昌子の逸失利益の損害一、二七一、二一一円、慰藉料一、〇〇〇、〇〇〇円合計金二、二七一、二一一円および右各金員に対する損害発生後であることが明らかな昭和四一年六月九日より右各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡辺忠之 裁判官 山本和敏 大内捷司)
<以下省略>